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とくわのこと

 概要

 徳和集落は、標高800~900mに位置し、徳和川の両岸に発達する。

 集落の入り口には道祖神と蚕影山の碑が目につく。道祖神は丸く磨かれた自然石からなり、毎年1月14日に道祖神祭りが盛大に行われる。蚕影山は往時から昭和40年頃まで盛んであった養蚕の豊作を記念した碑である。

 徳和川左岸には諏訪神社がある。社名は諏訪三社大明神といい徳和集落の氏神様として崇敬の中心である。三体の神様のうち、中央は諏訪神社で祭神は健御名方命。右は赤城神社で、祭神は盤筒文男神、盤筒之女神である。左は鹿島神社で、祭神は武甕槌神である。創建は正徳三年(1713年)である。文化三年三社を合祀して再興した。祭典は10月9日である。

 集落のほぼ中央に徳和山吉祥寺がある。宗派は真言宗で、承元年中(1207~1210)、武田五郎信光公により当時の館石和より東北鎮護と甲斐源氏守護のため、新羅三郎義満公より相承せる毘沙門天を本尊として開創された。境内には県指定天然記念物の「新羅桜」(樹齢300年)がある。

 集落の北側はずれ、乾徳山登山道左側に乾徳山大権現がある。祭神は大山祗命である。奥宮は乾徳山山頂にあり、一時修験道の道場として女人禁制の時代もあった。創建は明和8年3月(1768年)で、昔より雨乞い、雨上げの霊験があるとされ、五穀豊穣を祈った。祭典は4月18日である。

 徳和川の右岸に名取八右衛門屋敷がある。恵林寺開山無窓国師は修行中に乾徳山に入り、修行が終わって当家に立ち寄った。修行僧の訪問にもかかわらず、当家の八右衛門氏は快く懇にもてなした。その甲斐あってか修行の疲れも癒えて感謝して下山した。​後日恵林寺を開創するにあたり、八右衛門氏の心情を後世に伝えるべく、特に一室を設け八右衛門座敷と称し、その恩に報いたと伝えられている。なお国師の袈裟の輪が当家に代々伝えられている。

~徳和の四季~

 【 春 】

 徳和の春は、私が住んでいる町より少し遅れてやってきます。春先はまだ肌寒く、祖母の家ではコタツやストーブを使っています。桜の花も、ゴールデンウィークくらいまでは咲いているので、うっかり忙しくてお花見が出来なかった人は、徳和に来くれば桜を楽しむことができます。・・・

~徳和の地域社会~

 三富村の他の部落が、笛吹川沿いの地に点在する中にあって、徳和のみが笛吹川の支流である徳和川の上流にある。そのため他部落から隔絶した感があり、まさに地名の起こり「徳分」にふさわしい集落である。ちなみに徳分とは、荘園領主や地頭などが得る収益のことで、隠し畑などをさす。・・・

~吉祥寺~​

 徳和にあり、山号は徳和山、真言宗の寺である。本尊は毘沙門天である。徳和の七割ほどがこの寺の檀家である。それ故寺と集落との関係は深く、寺の行事に集落が、また集落の行事に寺が深く関わっている。

 四月十八日の毘沙門天祭りは、村の祭りとして定着しており、徳和の春祭りにふさわしい。・・・

~徳和の歴史~

徳和の鉱山臼
 徳和の吉祥寺付近に、「虚空堂さん」と呼ばれている場所がある。ここに一個の石臼がおかれている。一つしか見当たらないが、形態的特徴から一般的な穀臼ではなく、鉱山で最も普遍的にみられる定形型鉱山臼であり、江戸初期から江戸時代全般にわたって使用されたものである。・・・

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